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ギター修理,製作.音楽録音

音楽の変遷

音楽の変遷

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第二次世界大戦後日本の音楽といえば、古典的なものを含めたクラシック音楽、と日本歌謡曲だけだったと思う。
そして、短波放送による、アメリカンミュージックではなかったろうか。私は、愛媛県の片田舎育ち、
学校にオルガンかピアノがあり、一般家庭には楽器などとてもとても、、、、
昭和25年ごろだと思う、「ハーモニカ」一気に拡大し、私も夢中になり、ある程度楽譜が理解でき始めました。
ある時音楽の「試験」で個別に一人ずつ部屋に呼ばれて、簡単な楽譜を見せられた、声に出して「唄う」
テストがあったけれど、調子はずれで歌えなかった記憶があります。悔しくて、声を出して楽譜をよむ訓練を
したり、ハーモニカ演奏をさらにしました。要するに私の音楽の出発はここにあったような気がします。
15才ごろギターを貰って、古賀メロディー、アメリカンミュージックの全般を聞きながらギターで遊ぶ日々が
随分あったけど、その中でもエルビスプレスリー「ハートブレクホテル」に衝撃をうけ、この歌の途中にある
ピアノのアドリブに、これはなんだ!と今でもはっきりと耳に残っています。これが初めての音楽シヨック
(グレンミラー、ベニーグッドマン などのスイングJAZZも聞いてはいたけど)
その次、高卒後今のNTTに入社したはいいものの、仕事は馬鹿馬鹿しくて、毎日未成年者なのに酒びたり。
半年か1年後か?急性肝炎になり40日ほど入院中、この時ラジオ番組でJAZZを知り、そのテーマ曲が
モダンJAZZの「ジャズメッセンシャー」のMoanin’   ファンキージャズだ!退院後、日本初公演
を東京まで行きました。その前から既にトランペットの練習もしていました。これとは別に、少し前、
フラメンコ音楽もテレビを通じて知り、ギターはその方向ばっかり弾いてました。(でたらめを)
このあたりが、第二次音楽シヨック。挙句の果てはNTTなど辞めて(4年ほど在職、内2年ほどはセミプロ)
プロの世界へ。東京へでていったものの、自分のレベルの低さに「唖然」たる心境。でも努力だけはし、
普通よりは、やや良い報酬にはなりました。しかし、「胃弱」、ヤセの自分にはトランペットは過酷。
(You Tube では女性や、子供がいとも簡単にラッパを吹いてるけど、、、)
結局体を壊し、結婚もしていて子供も出来そうで、家族を養う義務を優先し、田舎へ帰ったしだい。
しかし、音楽は絶えず身近で楽しんでいました。ギター演奏も勿論やり、上達もしました。
バッハのプレリュード、(この録音は50才半ばだとおもう。今練習してもひけないだろうな、、、)
1980年前だと思うけど、喜多郎ミュージックをNHK「シルクロード」のテーマミュージックが
「シンセサイザー」で作られていることを知り、これは「一人で音楽を楽しめる」と感じ、もう一直線。
そして、現在も!今は、ギター作りの時間が多いけど。もう、ゴルフは止め、いずれ、何もかも
終わりになるけど、しかも近いうちに、、、持ち時間がもうない。
人間の時間を売り買いする映画があったけど、長生きしたい訳では決してないが、自分の「耳」が
いつまで機能するのか、それが怖い、、、、
結論 沢山のジャンルの音楽のほとんどは、昭和25年ごろから昭和35年前後に、日本に流れ込んで
   きた気がする。私は、青春の真っただ中、幸せだったし今も変わらず楽しんでいる。

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