ロクオンライフ

ギター修理,製作.音楽録音

10月

終焉NO4 モダンジャズへのこだわり  マイルス&コルトレーン

上ふたつは、マイルスデイビスによる、[So What] [Blue in Green]のアドリブ

これは、ジョン・コルトレーンによる、おなじ、 [So What]  [Blue in Green]のアドリブ

私が20才頃(1960年)最もモダンジャズを聴き、勉強したレコードです。マイルス&コルトレーンは、このレコードを録音したときは、同じグループのメンバーであった。二人はやがて、それぞれのグループに分かれて活躍するけれど、そのサウンドは全く違うものになっていった。マイルスは、有能な新人を発掘しては、絶えず進化を求め続け、麻薬をやりながらも、才頃(1960年)最もモダンジャズを聴き、勉強したレコードです。マイルス&コルトレーンは、このレコードを録音したときは、同じグループのメンバーであった。二人はやがて、それぞれのグループに分かれて活躍するけれど、そのサウンドは全く違うものになっていった。マイルスは、有能な新人を発掘しては、絶えず進化を求め続け、麻薬をやりながらも、60才半ばまで生存、JAZZの帝王とよばれた。コルトレーンは、麻薬づけで、40才過ぎで亡くなった。ただ、狂ったように録音をし多くの名作を残した。その他好きなジャズマンはたくさんいますが、この二人は格別な存在感をもつミュージシャンでした。カルテット(4人)クインテット(5人)各自が、でたらめであろうが、アドリブという緊張感を味わうと、たまらない陶酔におちいり、「今こそ生きている」と感じたものです。その時代は、歌謡曲などバカにしていました。しかし、ミュージシャンを辞めて何年か後から日本の曲も、演歌であれホークソングであれ、「うまい歌手」が歌い、ヒットした音楽も聴くようになりました。日本人で 「うまい歌手」 、美空ひばり、ちあきなおみ、内藤やす子、特に後者二人は、日本人離れのリズム感がJAZZらしく好きだねぇ。男性歌手、、、やはり布施明(有名外人女優に惚れられたぐらいだからねえ)井上陽水、、、バブルガムブラザーのメインボーカル、名前おもいだせない、、あんな「ノリ」のできる歌手もいないなあ。

私の、ウインドシンセでノリのいい曲は、これ

中島みゆき「あした」2コーラスからのアドリブによるうたいかた

歌詞がなく、メロディーを楽器で演奏するのもいいとおもいませんか、、なんでもいい、楽器にふれてください。一日が何事もなく満足感を味わえるのではないでしょうか、、

ギター演奏&ギター製作 終焉 NO3

ギター演奏を始めるのに現代ならば、わざわざレッスンを受ける必要などないというのが、私の持論です。但し少しだけ条件はあります。①少しだけ音楽を聴く耳がいいこと。②練習をする場所と時間があること。この二つを満たすことができれば、必ず上達します。youtubeでも、沢山勉強できますね。私はあるプロに20~30時間ぐらいレッスンを受けたことがありますが、教わるというより音楽について話しただけだったと記憶しています。

この曲は50歳代に出会って、一生弾き続けようと思っていました。79才の現在まだ指は記憶していますが、肝心の指が動きません。テンポを落としても弾けません。原因は60才過ぎからギター製作に夢中になったからです。30才なかばにクラシックギター製作キットを買って作ったこともあります。その後50才代にまずまず知名度のある製作者2度、自分向きのギターを製作依頼しました。どちらも、ローズウッド、ジャーマンスプルースでしたが、半年後には売却しました。そして、60才頃からギター製作の本、ネットで知識を習得、(もともと大工仕事はお手の物で、一部屋増築など自分で全部やりとげる)ギターを壊して分解すれば構造が分かり、製作を開始しました。大阪在住のギター製作プロとも知り合い、作るたびに技術は上達したつもりです。失敗すればその箇所を修正すればよし。!そのうち、ヤフーオークションから落札したジャンク品の修理もたくさんやりました。これはなかなかおもしろいことはなばなしい。割れてならないギターを、正常な状態にもどすのだから、その達成感は充実のひとことにつきます。元の材料が良ければ、(ほとんどなし、偽くらものがおおい)現在いい材料にめぐりあえないから、普通に、修復さえできれば、断然面白いです。

しかし、1年ほど前、左眼の病気がわかり、細かい作業が困難になりました。鉛筆で線を引けば1ミリずれていたり、簡単なところを、のこで切れば、正確さを欠いていたり、(修正はできますが)仕事がはかどりません。これが、ギター製作を辞めた理由です。

老人とは、自分が出来ていたことを、すこしずつ無くすことです。逆に、若人とは「生きる時間」を持っていることです。人生、クリエイティブに生きるべし!

ブログ終焉 NO2 楽器の変遷

私の本業はこの楽器。もう、「プー」という音がでるだけ。初めての楽器は,手造りの竹笛かな、、小学生何年生?ハーモニカにめぐりあい、新しい曲を演奏するため少しは譜面をよめるようになりました。中学3年生、年上の、いとこからギターを貰いました。ドレミファソラシドだけ教わって、高校卒業まで必死に、一人で遊んでいました。卒業直前、演芸会みたいなものがあり、自分にとっては衝撃的曲、「ハートブレイクホテル」を全生徒の前で演奏しました。(独奏)そのころ、東京では、ウエスタンカーニバルで、平尾昌晃、ミッキーカーティス、往年のスターの全盛期でした。私が演奏した翌日、1学年下の女性が私の家に来て私の写真を何枚か持って行きました。手紙もきました。田舎のスター誕生!昭和33年だったと思う、日本にスペインから、カルロス・モントーヤがフラメンコ音楽を持ち込んだおかげで、どっぷりとはまり込みました。私は未成年者でしたが、アルコールを飲まない日はなかったと記憶しています。(いまも、、)18才半ば、急性肝炎になり40日ほど入院しました。入院中、ラジオ番組で、モダンジャズに出会い、聞きまくり、退院したらトランペットを楽しもうときめました。しかし、パツラ(ラッパの逆読み、楽隊言葉)は一人で吹いてもおもしろくない。不思議なもので、あるキャバレーでプロのサックス奏者と知り合いになり、そのキャバレーに出入りするようになり、ちょっとしたことで、ステージに立って演奏する羽目になりました。その内容や、惨憺たるもの。そのバンドマスター(バンマス)が吹けるところだけ吹け!と勇気づけてくれたおかげで、3か月ぐらいで、格段の進歩をしました。そのバンマスの思いやりを無視して、モダンジャズを演奏したくて、二つのバンドを経験しました。私は昼間は今のNTTの公務員。夜アルバイト1年あまりやっていましたが、ある友人が東京でいいバンドができるので行かないかといわれ、プロミュジシャンになりました。上京したのはいいけど、そのバンドは30才半ばの人たちで、私の天狗の鼻はペシャンコ!2年余りフルバンドの、3番目か4番目のラッパ吹きとして必死に努力しましたが、痩せぎすの自分では無理でした。体も、1年せいぜい10日の休み、不規則な仕事予定、おかげで体調を壊しました。ミュージシャンをやめるにしてもなんのため東京まで来たのか?3流バンドでしたが、ある程度モダンジャズも演奏できるバンドで楽しみながら、1年ほど演奏活動をして、ラッパを辞めました。その後ギターだけは手元にあり、そのうち、シンセサイザーにはまって、一人で楽しめることを知り、40年ほど楽しんでいる次第。

マイルスデイビスのレコードのコピーです。Saxのアドリブは打ち込み.曲の出だし部分、ミックスを失敗したままですが、スミマセン

こんな雰囲気のアドリブが自分の好み。ウインドシンセで演奏しています。