ロクオンライフ

ギター修理,製作.音楽録音

01日

ブログ終焉 NO2 楽器の変遷

私の本業はこの楽器。もう、「プー」という音がでるだけ。初めての楽器は,手造りの竹笛かな、、小学生何年生?ハーモニカにめぐりあい、新しい曲を演奏するため少しは譜面をよめるようになりました。中学3年生、年上の、いとこからギターを貰いました。ドレミファソラシドだけ教わって、高校卒業まで必死に、一人で遊んでいました。卒業直前、演芸会みたいなものがあり、自分にとっては衝撃的曲、「ハートブレイクホテル」を全生徒の前で演奏しました。(独奏)そのころ、東京では、ウエスタンカーニバルで、平尾昌晃、ミッキーカーティス、往年のスターの全盛期でした。私が演奏した翌日、1学年下の女性が私の家に来て私の写真を何枚か持って行きました。手紙もきました。田舎のスター誕生!昭和33年だったと思う、日本にスペインから、カルロス・モントーヤがフラメンコ音楽を持ち込んだおかげで、どっぷりとはまり込みました。私は未成年者でしたが、アルコールを飲まない日はなかったと記憶しています。(いまも、、)18才半ば、急性肝炎になり40日ほど入院しました。入院中、ラジオ番組で、モダンジャズに出会い、聞きまくり、退院したらトランペットを楽しもうときめました。しかし、パツラ(ラッパの逆読み、楽隊言葉)は一人で吹いてもおもしろくない。不思議なもので、あるキャバレーでプロのサックス奏者と知り合いになり、そのキャバレーに出入りするようになり、ちょっとしたことで、ステージに立って演奏する羽目になりました。その内容や、惨憺たるもの。そのバンドマスター(バンマス)が吹けるところだけ吹け!と勇気づけてくれたおかげで、3か月ぐらいで、格段の進歩をしました。そのバンマスの思いやりを無視して、モダンジャズを演奏したくて、二つのバンドを経験しました。私は昼間は今のNTTの公務員。夜アルバイト1年あまりやっていましたが、ある友人が東京でいいバンドができるので行かないかといわれ、プロミュジシャンになりました。上京したのはいいけど、そのバンドは30才半ばの人たちで、私の天狗の鼻はペシャンコ!2年余りフルバンドの、3番目か4番目のラッパ吹きとして必死に努力しましたが、痩せぎすの自分では無理でした。体も、1年せいぜい10日の休み、不規則な仕事予定、おかげで体調を壊しました。ミュージシャンをやめるにしてもなんのため東京まで来たのか?3流バンドでしたが、ある程度モダンジャズも演奏できるバンドで楽しみながら、1年ほど演奏活動をして、ラッパを辞めました。その後ギターだけは手元にあり、そのうち、シンセサイザーにはまって、一人で楽しめることを知り、40年ほど楽しんでいる次第。

マイルスデイビスのレコードのコピーです。Saxのアドリブは打ち込み.曲の出だし部分、ミックスを失敗したままですが、スミマセン

こんな雰囲気のアドリブが自分の好み。ウインドシンセで演奏しています。